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東京高等裁判所 昭和22年(わ)250号 判決

上告人 被告人 古泉常作

辯護人 上村進

檢察官 田中政義關與

主文

本件上告は之を棄却する。

理由

本件上告趣旨は末尾添付辯護人上村進名義上告趣意書と題する書面に記載された通りである。之に對する當裁判所の判斷を開陳する。

論旨第一點に對する判斷。米穀の生産者にして食糧管理法第三條第一項によりその生産した米穀を所定の時期に於て政府に賣渡すべき義務ある者(所謂供出義務者)その賣渡を怠つた行爲は刑法第六十五條第一項の所謂犯人の身分により構成すべき犯罪行爲に該當する。從つて右所謂供出義務者に非ざるものが義務者と共謀して所定の時期に所定の米穀を政府に賣渡さなかつたときは共同正犯を以て論すべきである。原判決の認定したところによれば被告人は米穀生産者古泉平吉の長男であつて被告人方では昭和二十一年度政府に賣渡すべき同判示米穀数量の決定所謂割當を受け之を新潟縣知事の指定した同判示日時迄に政府に賣渡し得たに拘らずその供出義務者である父古泉平吉と共謀の上その内三十二石一斗二升を賣渡したに止り殘餘を右期日迄に政府に賣渡さなかつたのであるから被告人の右所爲は父古泉平吉の罪の共同正犯を以て問擬するを相當とする。原判決が右被告人の所爲に對し食糧管理法第三十二條第三條第一項同施行規則第一條第一條の三昭和二十一年十二月二十七日新潟縣告示第八百八十一號昭和二十二年三月十一日同縣告示第百六十七號刑法第六十條第六十五條を適用したのは相當である。原判決に所論の違法はなく論旨は理由がない。

論旨第二點に對する判斷。食糧管理法、同施行令及同施行規則を通覧するに米穀の生産者が政府に賣渡すべき米穀の數量の決定即ち所謂割當を受けた時は地方長官の指定する時期に之を政府に賣渡すべき義務を有するのであつて所謂保有米の制度は右法令の言及しないものであることを知り得る。又右保有米の制度はその他の法律に根據を有するものでもない。米穀等主要食糧の生産者及その家族の食糧を確保しその生活を擁護するの要あること勿論であつて之なければ米穀等の生産を阻害し延いては食糧管理法の目的である國民食糧の確保及國民經濟の安定を期し得ざるに到るは必至である。されば所謂保有米の制度を設け生産物の内一定數量即ち保有量をその生産者及その家族のために確保し實收高から之を差引き殘餘を政府に賣渡さしむるのが通例であるが右は結局米穀等の所謂割當を適切な基礎の上に決定せんとする行政的措置である。故に政府に賣渡すべき米穀の割當があつた場合縦令實質上は實收高から所謂保有量を控除するとしても右保有量なるものは當該生産者が法律上の權利として主張し得るものではなく斯く割當てられた米穀は所謂供出義務者に於て之を政府に賣渡す義務を有すると解すべきである。實收高及保有量の判決が實際と齟齬する結果割當数量を賣渡すことが當該供出義務者に困難な場合無きに非ざるべきも右義務者は一應右割當られた數量の米穀を政府に賣渡すべきものである。實收高の見積が過重である旨又は保有量の査定が過少である旨を主張して右賣渡を拒み得ざるものと解するを相當とする。眞實斯る實際に即さない割當がなされたときは右供出義務者は別途の方法例えば所謂割當變更の申出還元米制度の利用等によつてその食糧の確保を計るべきである。又食糧管理法第三條第一項によれば米穀の生産者はその生産した米穀を政府以外のものに賣渡すことを禁ぜられてゐるが政府以外のものに賣渡すことゝ所謂割當量を政府に賣渡さないことは別個の問題である所謂供出義務者が割當量の米穀を所定の時期に政府に賣渡さない以上政府以外のものに之を賣渡した事實の有無を問はず右條項に背反すと言うべきである。原判決が本件供出義務者古泉平吉に原判示米穀の割當量全部を政府に賣渡す義務ありと認め同人と共謀して同判示時期迄に右割當量の一部を政府に賣渡さなかつた被告人の所爲に對し食糧管理法第三條第一項違反を以て問擬したのは相當である。原判決には所論の違法はなく論旨は理由がない。

論旨第三點に對する判斷。論旨第二點に對する判斷に於て説示した通り米穀の生産者が政府に賣渡すべき米穀の割當を受けたときは地方長官の指定する時期に之を政府に賣渡すべき義務を有するのであるから右生産者は右割當數量の米穀を所定の時期に政府に賣渡さない不作爲によつて食糧管理法第三條第一項違反となる。政府以外のものに賣渡した事實の有無を問はぬことも又論旨第二點に對する判斷に於て示した通りであるから本件に於て政府以外のものに賣渡した事實がないとの理由によつて右條項違反を免れることは出來ない。又米穀の生産者が割當てられた米穀を政府に賣渡さない場合食糧緊急措置令によつて之を收用し得るのであるが之と前示食糧管理法第三條第一項違反とは別個の問題であつて斯る收用の方法あることによつて右條項違反の成立に影響あるべき理はない。被告人が所謂供出義務者古泉平吉と共謀して原判示割當量の米穀を所定の時期に政府に賣渡さなかつた事實に對し食糧管理法第三條第一項違反を以て問擬した原判決は相當であつて所論の違法はない。論旨は理由がない。

論旨第四點に對する判斷。政府に賣渡すべき米穀等の數量の割當られた場合所謂供出義務者はその割當に異議あると否とを問はず一應所定の期日に之を政府に賣渡すべきものであることは論旨第二點に對する判斷に於て説示した通りである。原判決は被告人が斯る供出義務者たる古泉平吉と共謀の上原判示割當數量の米穀を所定の期日迄に政府に賣渡さなかつた事實を認定したのであつて刑法第六十五條第一項第六十條によつて古泉平吉の身分によつて構成すべき犯罪行爲に加功したものであるから食糧管理法第三十七條に所謂法人の代表者又は法人若は人の代理人使用人その他の從業者がその法人又は人の業務に關し違反行爲をした場合とは全く異るのである。同條を論據として本件被告人の所爲を辯護するのは適切ではない。原判示事實に對し、前示食糧管理法第三條第一項違反を以て問擬した原判決に所論の違法はなく論旨は理由がない。

論旨第五點に對する判斷。食糧管理法は現下の食糧事情に鑑み國民食糧の確保及國民經濟の安定を圖るため食糧を管理しその需給及價格の調整並配給の統制を行うことを目的とする。本法の如きものが存しなければ國民の大多數は食糧を確保するを得ずしてその生存を危殆に陷るゝは勿論經濟の復興を阻害し國家の存立さえ危くするに到る虞がある。本法は國民の基本的人權の享有を妨げず又その最低限度の生活を營む權利を害せざるのみならず却つて國民の基本的人權を尊重しその最低限度の生活を保障しようとする法律であつて憲法の條項に反することはない。從つて本法の條項に背反する者あれば之に臨むに刑罰を以てする場合のあることは當然であり斯る違反者が處罰さるゝの一事を以て本法が憲法第十一條又は第二十五條に反するといふは正當ではない。素より本法の實施に際しては食糧生産者の利益と相反する處がないでもないから政府はその實施につき格段の注意を拂ひ特に論旨第二點に對する判斷に於て説示した如く實收高の測定と農家保有米食糧の確保に萬全を期し生産者と消費者との利害の調節に努むべきであつて些かも生産者及その家族の生活を脅し生活力に悪影響を與えるが如きことを愼まねばならないがこのことは飽く迄本法實施上の行政部門の問題であつて本法自身のそれではない。本法の實施に當り偶々生産者及その家族の利害に牴觸する如き處置ありたりとしてもそれは本法實施上生ずる行政の過誤であつてその過誤あるが故に本法自體を目して憲法に反する法律なりとすることはできない。所謂保有米の性質については論旨第二點に對する判斷に於て説示した如く法律上の權利ではなく、本法實施上の行政的措置であり政府に賣渡すべき米穀等の数量の決定に當り參考資料となるものであるから被告人獨自の見解を以て保有米の査定過少なることを主張するを許されぬ筋合である。原判決が原判示事實に對し食糧管理法第三條第一項を適用したのは相當である。原判決には所論の違法はなく又食糧管理法は所論憲法の條規に反することはない。論旨は理由がない。

仍て刑事訴訟法第四百四十六條によつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 佐伯顯二 判事 久禮田益喜 判事 八木田政雄)

上告趣意書

上告理由

第一點原判決ハ被告古泉常作ニ對シ昭和二十一年度産米不供出ノ罪即チ食糧管理法第三條第一項違反トシテ罰金千圓ニ處スルノ言渡ヲ爲シタリ

然レトモ元來食糧管理法第三條第一項違反罪ハ其第十一條第二項違反ト共ニ命令違反罪デアツテ供出義務者ガ供出(賣渡シ)命令ヲ受ケテ居ルノニ此命令ニ反シテ供出ヲシナカツタ場合ニ始メテ成立スル罪デアル、ダカラ違反スル前ニハ必ズ政府ノ供出命令ガ義務者ニ對シテ發セラレナクテハナラヌ

本件ノ被告ハ其家ノ農作物タル米ノ供出義務者デモナク又供出命令モ受ケテハ居ナイ只單ニ供出義務者タル父古泉平吉ノ農業耕作ト其收穫ニ從事シタニ過ギナイノダカラ本件犯罪ノ成立シ様ガナイ

第二點食糧管理法ハ農民ノ生産米ヲ政府ガ買上ゲル法律デアツテ主要食糧ノ一種ノ國家管理法デアル彼ノ米ノ專賣デモナク又米ノ徴發デモナイ換言スレバ農民ノ産米ノ自由販賣ヲ禁ジ米ヲ賣ル場合ニハ必ズ政府ニ賣渡スベシトイフ丈ケデアル、即チ賣ル可キ米ノアル場合之ヲ個人ニ賣ツテハナラナイ必ズ政府ニ賣渡サネバナラヌノデアルガ專賣ヤ徴發ト違ツテ産米ヲ根コソギ持ツテ行クノデハナク保有米ヲ除キ尚賣ル可キ米ガアル場合之ヲ政府ニ賣渡セバヨイノデアル本件ノ如キ昭和二十一年度ノ供出ハ農林省ノ通牒ニ依ツテ保有米ハ完全ニ確保サレテ居ルカラ此保有米ヲ確保スルコトハ農民ノ權利デアル保有米ヲ除外スルコトハ勿論其他ニ農民ガ喰込ンデ供出出來ナイ部分モ或ハ又盗難ヤ流失等ニ依ツテ失ツタ部分モ供出命令ノ時ニ於テハ結局賣ル可キ米トシテハ存在シナイノデアルカラ保有米ト同様供出割當量ヨリ除外サルベキデアル、要スルニ實收量カラ保有米ヲ控除シ殘餘ノ量ヲ供出スレバヨロシイノデアル其殘餘量ノ中ニ喰込ノ量ガ加算サレテアリトスレバ其量ヲ控除シテ供出量ヲ計算シ供出スレバヨイノデアル

本件ニ於テハ證人乙川忠榮次ノ證言ニ依レバ二十一年度ノ割當ハ過大デ實收量ヲ無視シタ棒割當デ作柄モ構ハズ反當リ二石四斗七升ヲ割當テタノデ地方事務所長ニ改訂ヲ求メタガ改訂シテ呉レヌノデ私ハ責任上致シ方ナク皆ニ實收量カラ保有米ヲ差引イテ殘リ丈ケヲ供出シテ呉レト督促シテ漸クソレ丈ケ供出ヲ村人ニサセタノデアリマス又二十一年度ノ實收ハ反二石平均位ト思ヒマスト述ベテアリ證人古泉平吉ノ證言ニモ私ノ田ノ中五反位ハ水ガ三、四回モ冠ツテ收穫ガ少ナカツタノニ供出割當ガ多イ爲メ完納ガ出來ナイトイフコトハ私モ承知シテ居リマス又一昨年次男ガ滿洲カラ四人モ連レテ歸ツテ來テ同居シ私ノ飯米ヲ喰込ンダノデ其レ以上供出出來ナカツタノデスト述ベテアリ之デ本件記録ヲ綜合スレバ實收ガ非常ニ少ナイノニ供出割當量ガ過大デアルガ結局ニ於テ被告方ノ實收量カラ保有量ト喰込ンダ分トヲ除外スレバ完全ニ供出シタコトニナツテ居リ從ツテ政府ニ賣渡ス可キ米ハ全部賣渡シ濟ミデアリ賣渡ス可カラザル個人ニハ一粒タリトモ賣ツテハ居ナイノデアルカラ管理法第三條第一項ニハ違反シテ居ナイノデアル

第三點現在農民ノ生産スル米ノ處置ニ對スル法律トシテハ物價統制令、食糧管理法、食糧緊急措置令ノ三ツガアツテ生産者タル農民ノ生産米ニ對スル自由ナル處置ヲ禁止シテ居ル若シモ農民ガ自己ノ生産米ニ對シテ自由ナル處分ヲシヤウトスル場合ニハ必ズヤ此三個ノ法律ノ何レカノ監視ヲ受ケネバナラヌ例ヘバ(イ)米ヲ個人ニ賣渡(横流シ)シタト假定スル此場合ハ第一ニ物價統制令ニカカリ其結果ハ食糧管理法第三條第一項ニカカル又(ロ)米ヲ單ニ供出セズニ自己ノ倉ニ積ミ置イタ場合ニハ形式上ハ第一ニ管理法第三條第一項ニカカリ其結果食糧緊急措置令第一條ニ該當スルノデアル 此三個ノ法律ヲ農民ノ自由處分禁止ノ立場カラ一聯ノモノトシテ觀ル時ニ供出期限迄ニ「供出シナカツタ」ト云フ單ナル不作爲ノ事實丈ケデ罰スルノハ當ヲ得テ居ナイ何トナレバ單ナル不供出トイフ事實丈ケデハ農民ノ倉ニ積入レテ居ルカモ知ラン或ハ途中迄運搬シツツ間ニ合ハナカツタカモ知ラン或ハ盜難ニカカツタノカモ知ラヌ或ハ最後ニ割當量ラツイテ政府ト交渉中デアル爲メカモ知ラヌ之等事實ヲ確定スルコトナシニ單ニ期限ニ供出セヌトイフ不作爲ノ結果ノミヲ觀テ罰スルコトハ此法律ノ一貫シタ關聯性ヲ無視シタモノデアル前例(イ)ニ於テハ米ガ供出命令時ニ行爲者ノ手元ニ存在シナイデ不供出ガ行ハレル場合即政府ニ賣渡サナカツタコトハ個人ニ賣渡シタ結果デアツタカラ食糧管理法第三條第一項ニ違反シ罪ガ完成スルノデアル從テ本件事案ノ如ク個人ニ賣渡シタ證據ノナイ場合ハ當然罪ハ成立シナイ前例(ロ)ノ場合ニ於テ實際米ガ存在シテ居レバ食糧緊急措置令第一條ヲ適用シテ其米ヲ差押ヘレバヨイノデアルカラ此緊急措置令發布後ハ所謂横流ヲ伴ハナイ單ナル不供出ノ場合ハ食糧管理法デ罰スベキデハナイカラ本件ノ被告事件ハ此點カラデモ罪ハ成立シナイノデアル

第四點食糧管理法第三十七條ハ業者タル法人又ハ人ノ代理人使用人其他ノ從業者ノ違反行爲ヲ罰スルノデアルカラ之ハ法律上代理關係ノアルコトガ前提デアリ而カモ其レ等ノ代理人ガ本人ト獨立的ニ違反行爲ヲ爲シタ場合ニ其行爲ヲ罰スル外ニ從業者監督ノ責任ヲ追及スルノ意味デ本人即チ法人又ハ人ヲモ罰スルノデアル 例ヘバ食糧管理法第十一條第一項ノ業務ノ從業者ガ其業者ニ無斷デ許可ヲ受ケズニ其營業ヲ利用シテ米麥ヲ輸入シタ場合トカ或ハ本人ノ供出スベキ米ヲ其使用人ガ胡麻化シテ供出シナカツタ場合トカ本人トハ全然別個獨立ニ犯シタ違反所爲ガ罰セラレルノデアツテ本件被告ノ如ク何等獨立的ニ不供出行爲ヲシタ譯デハナク只本人タル父ノ意思ニ依リ本人ノ義務不履行ガ實收ノ不足ト喰込ミト割當ノ過大トカラ來タ止ムヲ得ザル履行不可能状態デアツタノヲ其儘抛置シテ居タ迄ニ過ギナイノデアツテ別ニ父本人供出義務ヲ阻害シタ譯デモナク實質的ニハ完納状態ニアツタノガ其儘トナツタ迄ニ過ギナイノデアルカラ此規定ヲ本件被告ニ適用スルコトハ絶對ニ出來ナイノデアル

第五點本件被告ノ如キ立場ノ人ガ此程度ノ行爲ニ依ツテ處罰セラレルトキハ正ニ憲法第十一條國民ノ基本的人權ハ侵害サレ憲法第二十五條ノ國民ノ最低限度ノ生活權ハ破壊サレルノデアル 農民ガ保有米ヲ確保スルコトハ米ノ再生産ノ爲メノ權利デアリ此爲メニハ多少ノ喰込ミガアルコトモ時ニ止ムヲ得ナイ國民ノ權利デアル此最低生活權ヲ無視スル食糧管理法ハ憲法第九十八條ニ依ツテ憲法ノ條規ニ反スル法律トシテ無効ノモノデアルカラ之ニヨツテ被告ヲ處罰スルコトハ出來ナイ

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